飛行機事故から生還した男の話 — 石井院長コラム

 

石井院長コラム

飛行機事故から生還した男の話

Morris E. Goodman — The Miracle Man


石井院長

モリス・グッドマン・奇跡の復活

自己治癒能力・信念の力

病気や怪我をすると、誰もが治してもらおうと病院を訪れます。しかし、実際に治すのは医者ではなく、患者自身です。医者の役割は、患者自身が治っていくのを手伝うこと。薬を処方したり手術をしたりして、患者さんが良くなっていくのを手助けするのが主たる役目です。薬を飲んでもらうことで、その人の自己回復能力を生かしやすくする。手術をしたあと、縫合した部分も含め、患部は患者自身の力で再修復されます。つまり、病気、けがの回復は、患者自身の自己治癒能力にかかっているのです。

今年(2026年)の2月、80歳の生涯を全うしたモリス・E・グッドマンという人がいます。本来なら数十年も前に亡くなっていたであろう彼。日本ではあまり知られていませんが、米国では、飛行機事故からの復活劇で「奇跡の男」として、とても有名な人です。

グッドマンは大学中退後、保険営業マンを経て、自身の会社「モリス・グッドマン・アンド・アソシエイツ」を設立した若手実業家でした。学生時代こそ、ぱっとしない彼でしたが、社会に出てから頭角を現し、事業は成功。順風満帆な人生を歩みだします。成功者によく見られるように、若くして自家用機を購入しました。そして、彼が36歳の時、1981年3月10日に、自家用機のセスナ172で首都ワシントンの東にあるチェサピーク湾とデルマーバ半島南端を周回飛行する予定をたてました。当日、予定通り飛び立ち、飛行は順調に見えました。ところが、しばらく経った頃、突然、エンジンが停止したのです。そのまま回復せず、彼は最寄りの空港に緊急着陸を試みることにしました。なんとか滑走路が見えるところまで来ました。しかしその時です。彼の飛行機は滑走路手前の電線にひっかかり、地面に墜落して横転したのです。飛行機は大破、炎上しました。グッドマンは何とか命はとりとめたものの、その時、第一頸椎と第二頸椎を骨折するという大けがを負いました。第一頸椎は頭を支える一番上の背骨、第二頸椎はその下の背骨です。それらが骨折すると、痛みはもちろん、首を自力で支えることができなくなります。また、脊髄神経の損傷で、四肢麻痺、感覚障害の他、自分の力で呼吸することすら困難になることもあります。つまり、生命の危険に直結する大けがということです。はたして、グッドマンは全身麻痺状態になったのでした。話すことも、飲み込むこともできず、自力で呼吸することすらできません。せいぜいできること、といったら、"まばたき"くらいでした。

墜落直後、救急車で現場近く、バージニア州の地元病院に運ばれ、初期治療が行われます。しかし、地元の病院ではそれ以上の対応ができず、その後、総合病院に移され、そこで手術が行われました。手術後、担当医から、本人、および家族に説明があります。

「体の機能が戻ることはない。生きることができても、人工呼吸器をつけたまま、意思疎通も困難なままです」

要するに"植物状態"のまま、それ以上の改善の見込みはないと。しかし、グッドマンの妹は、彼の目の動きに気づきました。そして、彼に意識があることも。さっそく彼女はアルファベットや数字が並べられた文字盤を用意し、コミュニケーションを試みました。目線の動きとまばたきで、何とか、それはうまくいきました。こうしてグッドマンは、限定的ではあるものの、周囲の人と意思疎通を図ることができるようになったのです。

医者から「一生、植物人間だ」「死ぬまで、まばたきしかできない」と言われた時、グッドマンは思いました。「医者が何を言おうと、大切なのは自分の考えだ」と。その時から、彼は"普通の体に戻り、歩いて退院する自分"を想像しました。後に彼は言います。「それを実現できるのは自分の心だけ。一度決意すると物事を元に戻せるんだよ」と。

自分の力で呼吸ができなかった彼は当初、人工呼吸器につながれていました。機械の力でなんとか呼吸をしている中、かすかな声が何度も頭の中に聞こえてきたと言います。

「深呼吸しろ、深呼吸しろ」

それで、彼は毎日毎日、一生懸命、呼吸するイメージをもち続けました。当然、呼吸に必要な横隔膜も胸の筋肉も動きません。ですから、それは単なる想像、イメージにすぎませんでした。しかし、それでも彼は頭の中で"自分の力で呼吸しているイメージ"を一生懸命、し続けたのです。

そうしているうちに、わずかではあるものの、本当に自発呼吸(自分の力での呼吸)がでてきたのです。それだけでも周囲にとっては驚きです。しかし、驚いてばかりはいられません。こうして、少しでも自発呼吸が出てきたということは、その後、訓練次第では、"自力での呼吸再開"の可能性が出てきたことになります。そのため、1981年4月6日、グッドマンはバージニア大学医療センターに転院となりました。そこで本格的に呼吸筋を動かすリハビリ訓練が始まったのです。そのかいあって、横隔膜、胸の筋肉、他の腹筋を自発的に使えるようになってきました。もう、そうなってくると、さらに自分の力でしっかりとした呼吸ができるようになってきます。結果、しばらくして、医師たちはゆっくりと人工呼吸器の設定を下げていきました。そして、完全に自力で呼吸できることを確かめ、ついに人工呼吸器は取り外されたのです。

呼吸器が外されたとき、周囲のだれもが驚き、歓声の声が上がりました。

自分で呼吸ができるとなると、日常生活復帰に向けての本格的なリハビリが始まります。まずは、言語療法士による訓練開始です。その結果、言葉を発することができるようになりました(その第一声は「ママ」でした)。さらに、1981年6月1日、彼はリハビリセンターに移され、そこで食事を始め、歩く練習に取り組み始めたのです。

後に彼は言います。「この間"自分の目標や願望を邪魔しようとするもの"を心の中に一切入れなかった」と。そして次に、「クリスマスの日に歩いて退院する!」目標を立て、そのイメージを持ち続けました。

結局、1981年11月13日、墜落から8か月後、彼は病院から"自分の力で歩いて"退院したのです。
医者、看護師、そこにいた誰もが「ありえない」と驚き、その場は言葉にならない感動に包まれたといいます。

後日、彼は述べています。「あの日のことは忘れられない」と。
そして彼は続けて言います。
「今、ここで何かに悩み苦しんでいる人たちがいるとしたら、私の自分の経験から、それらの人々に、こう言うことができると思う」

「人は自分の考えているとおりになる」

石井院長
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