祝!イーロンマスク資産1兆ドル!|石井院長コラム

 

石井院長コラム

祝!イーロンマスク資産1兆ドル!

Nihilism, the Übermensch, and What You Do with Envy

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石井院長
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格差社会・ニーチェ哲学
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末人か超人か

AI、ロボット、電気自動車、宇宙開発、半導体…、いま、これらのニュースを見ない日はありません。科学技術の進化はとどまることなく、今後、ますます発展していくであろうことは、疑いの余地がありません。こういった産業で働く人たちは、かなり羽振りが良いようです。まったく、うらやましいかぎりですが、それらの経営者となると、もっとすごく、どんどん資産を増やしているようです。その代表的な人物と言えば、イーロン・マスクですが、彼の資産が最近(2026年10月)なんと、1兆ドル!(約160兆円)を超えたとのこと。すごいですねー。1兆ドル(約160兆円)と言えば、日本の国家予算(2026年)の122兆円をはるかに上回る金額です。もはや誰にとっても天文学的な数字です。

昔、世界中の若者は、米国の成功した実業家たちを見て「アメリカン・ドリーム」と言い、「あわよくば自分も」と、アメリカへわたり、そこでの成功を夢見たものでした。しかし、まさか、一人の資産が160兆円ともなると、どうでしょう。庶民の私の感覚からすると「資産1億円」とか言うのであれば目標の対象になるかもしれませんが「160兆円!?」…。うーん、わけがわからん…もはや非現実的、としか言いようがありません。

『格差社会』…いろいろな所で議論されています。イーロン・マスクの例は、まさにこの社会が生み出したその典型例と言えるでしょう。『格差社会』…もともと格差を嫌う我々多くの日本人にとっては不快と感じられる言葉です。昭和の頃、内閣府が全国調査を行いました。『国民生活に関する世論調査』第1回(1958年)の結果、「あなた自身の生活水準を国民全体の中でどのレベルにあると思うか」と質問したところ、実に7割の人が"中の上"から"中の下"を選んだとされています。そのため、戦後の高度経済成長期以降、しばらく『一億総中流』などと言われる時代が続きました。そしてそういった社会に対して特に不満をもつわけでもなく、どこかその言葉に対する安心感すらありました。そういった日本の社会も、その後、欧米の実力主義の流れを受け、今や格差社会が、当たり前に言われるようになってしまいました。

格差社会がいけないのは、「金持ちの子は金持ちに、貧しい家の子はやはり貧しく」…このような社会階層が代々受け継がれ、固定化されてしまうことにあります。貧困ゆえ十分な教育が受けられず、それによって、そこから抜け出すチャンスがなくなってしまう…。それによって貧富の差が固定されてしまう。しかし、それ以上に私が懸念するのは「格差社会が多くの人々のやる気をなくしてしまうこと」にあります。格差社会が長期にわたり「それが当たり前」と思える世の中になってしまうと、一部の強者に対し大勢の弱者は、
「どうせ自分なんか…」
と思うようになるでしょう。一部の勝者に追いつくためには、かなりのハードルを乗り越えていかなければならない。「しかし、それは自分には無理だ」と早くから諦め、希望や喜びの少ない日常生活の中に埋没していってしまう。

こういった状況は、ドイツの有名な哲学者フリードリッヒ・ニーチェがかつて指摘した『ルサンチマン』とか『ニヒリズム』であらわされる世界に近いようです。なお、彼の言う『ルサンチマン』とは、ニーチェ自身の言葉を借りると「自分の無力からくる歯ぎしりのようなもの」とのこと。わかりやすく言うと「なんであいつばかり良い思いするんだ。あー、俺だって金持ちの家に生まれていたらなー」というように「自分より強い相手への妬み(ねたみ)や劣等感が、ゆがんだ価値観として心にこびりついた状態」を言います。後者の『ニヒリズム』は、たとえば「どうせ自分なんか…」と、世の中の様々なこと、さらには自分自身まで否定する考え。一言で言うなら『虚無主義』でしょうか。そして、これらの考え方に支配され「人生のよりどころを失い、喜びの薄い、安易な生き方をする」そういった「虚無的な観念にまみれた人たち」をニーチェは『末人』と呼びました。

ニーチェの生い立ちをみるなら、彼は両親ともルター派キリスト教の牧師の家に生まれました。そのため、彼は、子供のころから、牧師になるべく、教育を受けています。ですが、大学で哲学などを学びだしてから、むしろ、キリスト教に批判的な思想に傾くようになったのです。それはなぜか···
そもそも、キリスト教では言います。「貧しいものこそ幸いなれ」と。また、こうも言います。「富める者が天国へ行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と。つまり、強者が否定され、弱者が肯定される宗教…それがキリスト教の精神だ、とニーチェは指摘します。そして「このようなことを言うキリスト教には、実は"富める者に対する、貧しい人たちの密かな恨み"(『ルサンチマン』)が潜んでいる」とも指摘します。現実、いつの世も、人間社会では、弱者は強者に虐げられてきました。どうがんばっても、弱者に勝ち目のない世界です。しかし、そういった世の中でも、弱者が強者に勝てる唯一の手段があったのです。それは「弱者が、神、キリストを信仰し、心のよりどころとすること」によって。なぜなら、キリスト教は、すでに述べた通り、いつでも弱者の味方です。「聖書に書いてあるではないか。富める者はいずれ神によって地獄に落とされる。しかし、われわれ貧しき者は神によっていずれ天国に導かれると」。このように、「世の中の大勢の弱者は、一部の強い人間たちに対する密かな恨みを晴らすため、神、キリストを利用してきたのだ」とニーチェは考えました。

以上から、もはや「キリスト教は人々が正しく生きるための"よりどころ"とはなりえない」と考えたのです。そこで、彼は自書の中で以下の有名な言葉を残すのです。

「神は死んだ」

しかも、彼の生きた時代というのは、産業革命後、科学がますます発展していった時代です。その時代の中で彼は感じ取っていました。宗教、神に対する民衆の心の変化を。つまり「キリスト教が、徐々に人々の心から離れている」ということを。しかし、それまで人々の"心のよりどころ"となっていたキリスト教が、急に人々の心から離れていった場合、どうなるでしょうか…。結論を言うと、人々は退廃的になり、虚無的になって行きます。急に精神的な支柱がなくなるのですから。そのため、多くの人々は、何かにつけ「誰も頼りになんかならない」「どうせ自分なんか…」となってしまう。つまり、そこに出現するのはニヒリズムの世界です。
ニーチェは、彼の著書の中で予言を残しています。「(神が死んだ後の)20世紀・21世紀はニヒリズムの時代だ」と。はたして、その時、現在の『格差社会』を予見していたかどうかはわかりません。しかし、結果的に、まさに今、世界中が、徐々に喜びの少ない、いわゆる、『ニヒリズムの世界』に入っていっているのは間違いなさそうです。

ニヒリズムの世界が人々をダメにするのは、誰の目にも明らかです。そうなると課題は「人々が、いかにして、このニヒリズムの世界から脱却するか」となります。そのためには「人々にとって、価値の転換が必要だ」と主張したのもニーチェでした。彼は、人々は喜びの少ない『末人』になるのではなく、『超人』を目指すべきと言います。人生を生きていく中には、良いことも悪いことも様々なことが起きます。この『超人』とは「こういった人生の荒波の中、絶好調の時も、絶不調の時も、常に希望をもち、しかもすべての運命を前向きに受け入れることのできる人」…いわば「どんな時も常に自己肯定のできる人」あるいは『超ポジティブ人間』といったところでしょうか。
かくいう彼自身の人生というのは、とても壮絶で悲劇的なものでした。少年時代から天才と言われ、なんと、24歳にしてバーゼル大学・古典文献学の教授に就任。…と、そこまでは良かったのですが、間もなく転落の人生が始まります。彼の著作・思想は誰にも見向きもされず、病弱で定職にもつかず、おまけに悲劇的な失恋まで味わい、晩年は精神の病に倒れ、1900年に寂しい最期を迎えています。

さて、長くなってしまいましたが、今日のテーマは「イーロンマスクがついに資産1兆ドルを超えた!」でした。その話に戻りましょう。あなたはこのイーロン・マスクのこと、どう思いますか?「イーロン?ただの金持ちで嫌なヤツ!あの世ではろくなことないぞ!」と思いました?そう思ったあなたは世の中の大多数と同じ=ニヒリズムの住人=『末人』です。

…あるいは「イーロン・マスク? ちょっと私にはお金儲けは無理。だけど、私には"大金持ちと結婚!"という手があるわ!ひょっとしてイーロン・マスクだって落とせるかも…今日から英語、頑張るわ!」と思いました?そう思ったあなたは、まさに『超人』です。

さあ、あなたは、どちらでしたか?

石
石井院長
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