感謝祭
Thanksgiving — A Story of Faith, Survival & Gratitude
今年も感謝祭(サンクスギビング)の日が近くなってきました。毎年11月の第4木曜日、家族ごとに七面鳥を焼いて祝う伝統的な米国の行事です。それは、1621年のアメリカ・ボストン近郊のプリマスから始まりました。イギリスから新大陸に移住してきた清教徒(キリスト教の一派)たち。言い知れない苦労の末、その年、初めての収穫を得ます。それを祝うため、恩人である先住民のインディアンたちを招き、皆で食事を共にした。…そこから始まったとされる行事です。
イギリス人が初めて新大陸アメリカに足を踏み入れ、入植したのは、1607年のこと。バージニア(現在の首都ワシントンの近く)に最初の植民地を築きました。この植民地の成功を知った清教徒たち102名のイギリス人が1620年9月、"ある思い"のもと、イギリスのプリマス港に集まります。彼らはメイフラワー号に乗船し、バージニア植民地の北部ハドソン川河口(現在のニューヨーク)を目指しました。
ここで、彼らが大変な思いまでして、なぜアメリカを目指そうとしたのか…当時の歴史的な背景から見ていきましょう。
それは、メイフラワー号より前、16世紀(1500年代)にさかのぼります。当時、英国王だったアーサーが結婚して半年もしないうちに急死。急遽、弟のヘンリ8世が王位を引き継ぐことになります(イギリス史上最も有名な暴君になります)。その際、前国王アーサーの嫁が当時の大国スペインの王の娘であったこともあり、いわば、押し付けられる形で、ヘンリ8世はその兄嫁と結婚させられることになります。…当時の国力はスペイン>イギリスという状況でした…。はたして、愛はなくとも子供はできます。ただ、生まれた子は、女の子(後に女王となるメアリー)。本当は世継ぎとする男子が欲しかったヘンリー8世です。まもなく、妾で愛人であったアンブーリンが妊娠します。生まれてくる子が男の子なら、世継ぎとすることができる。ただし、世継ぎとするからには王室の伝統から「正妻の子でなければならない」。妊娠している妾を正妻とするためには、まずは、兄からの"おさがり"である現在の妻と離婚する必要があります。
当時、イギリスの国教はローマカトリックでした。そこで急遽、宗教上の首長であるローマ教皇に使者を送り、妻との離婚について許可を得ようとします。しかし、ローマカトリックは原則『離婚禁止』。国王と言えど、許可はできません。しかも、離婚しようとしている妻は、スペイン王の娘。当時、強大な権力を持ち、ローマ教会の財政的な守護者であったハプスブルグ家の娘でもあります。離婚を許可するということは、ハプスブルグ家の顔に泥を塗るようなもの。断じて許すわけにいきません。当然、ローマ教皇からの回答は"NO!"。離婚の許可はおりませんでした。
しかし、妊娠している愛人のアンブーリンは今にも出産しそうです。時間の猶予のないヘンリ8世は、そこで決断します。
「今後イギリスはローマカトリックから離脱し、独自のキリスト教会『イギリス国教会』を立ちあげる!」
「そしてイギリス国王がその宗教上の首長となる」
「よって、離婚の可否もイギリス国王自らが決定できる!」
(※なお、この妾アンブーリンの産んだ子も結局女の子でしたが、それが歴史上有名な女王エリザベス1世です)。
こうして、1534年、イングランド国王ヘンリー8世が『イギリス国教会』の首長となりました(結局彼は6回結婚しています。男子が1人生まれましたが幼くして逝去)。それ以降、イギリスでは、大臣も議員も官僚も、その他公職に就くものは、皆『イギリス国教会員』であることが求められることになります。当然、それ以外の宗派の人々は様々な面で社会的制約を受けることになります。
清教徒たちがアメリカへの移住を考えた当時、英国王はヘンリー8世から3代めのジェームズI世の時代でした。ローマカトリックからは距離を置いてはいるものの、かといって英国国教会にも属さない清教徒(カルヴァン派キリスト教徒)たち。彼らは英国内では異端扱いです。多くの面で社会的な制裁を受ける対象となっていました。彼らはそういった迫害から逃れ、自由を求めて新大陸をめざすこととなったのでした。英国プリマス港からバージニアをめざし、65日間もの航海の末、結局、目的地からはかなり北方にそれたものの、現在のボストン市の南に位置するプリマスに到着。そこで植民地プリマスが建設されることになります(後にマサチューセッツ植民地に統合)。
彼らは当初、イギリス本国から持って行った食糧で生活をします。しかし、それだけで冬を越せないことはわかっています。新たな植民地に農作物の種を植え、収穫を待ちます。当初の目的地であるバージニアであれば、比較的温暖で農作物が収穫できたかもしれません。しかし、彼らの入植したプリマスは日本でいえば東北〜北海道の気候。新天地が北の寒い土地であったせいもあり、最初の年、収穫はほぼゼロ。持ってきた食料は間もなく食べつくし、新たな収穫もない。彼らは困窮しました。食べるものがないのです。厳しい冬の間、清教徒たちは壊血病や栄養失調、寒さによる健康被害に苦しみ、当初の半数ほど、53人が病に倒れ亡くなりました。
一方、彼らが上陸した土地には先住民インディアンのワンパノアグ族が暮らしていました。困り果てるイギリス人入植者たちを見て、彼らは冬に備えて蓄えていた自分たちの食糧や物資を分け与えます。そしてまた、狩猟方法やトウモロコシの栽培方法など、生きていくために必要な方法をも教えたとされています。
そのかいあって、翌年の1621年秋、ついに収穫が得られたのでした。
振り返るなら、そもそも宗教的な理由で周囲から日頃、奇異な目で見られ、社会から様々な迫害を受ける日々。もういやだと、ささやかながらも自由を求め、たどり着いた新転地。しかし、そこからが、まさに過酷な日々の始まりだった。食べるものもなく、冬の厳しい寒さの中、次々と仲間が死に絶えていく。そんな地獄絵図の中、救ってくれた土着のインディアン。感謝してもしきれない。
英国人入植者たちは、その収穫を心から感謝しました。お祝いの場を設け、恩人であるワンパノアグ族を招待します。祝宴は3日間にもおよんだとのこと。
感謝祭のごちそうのメインは七面鳥です。鳥とはいえ、かなり巨大です。当時、入植者全員のお腹を満たすのに十分貢献したでしょう。正直、私が食べた限りでは、パサパサした感じで決しておいしいとはいえません。一口、二口ぐらいならいいですが、量が多くて食べても食べてもなくならない。すぐに嫌になります。しかし、当時のイギリス入植者たちにとって、それは、この上ないご馳走だったのは間違いありません。そして、この習慣は、その後も続くこととなりました。その時の入植者たちの感謝の気持ちを共有すべく、毎年、この時期になると、米国人は家族で七面鳥を焼き、感謝祭を祝うのです。
米国の感謝祭については、日本では、ハロウィーンやクリスマスに比べると、なじみ薄い行事です。
あなたは知っていたでしょうか、この秋の米国のお祭り…今年もその季節がやってきます。

