ヨイトマケの唄
A Song of Showa — A Mother's Love, A Nation's Rise
今はこの国もすっかり豊かになったので、生活の苦労話など、あまり聞くことがなくなりました。
私は昭和のバブル期の世代。子供のころから世の中がどんどん良くなっていく絶好調の中で育ちました。小学生の時、日本のGNPがあの英国を抜き、ドイツも抜き、ついに世界2位になった。当時はGNPって何のことか知りませんでしたが、学校の先生が自慢げに話す姿をみて、何かうれしく、わくわくとした気持ちになったものです。しかし、同じ昭和生まれでも、私より少し上の世代となると、日本の貧しい時期を経験しています。さらにもう少し上になると、戦後のどん底を生きた世代。私が子供のころ、テレビでよく放映されていた"懐かしのメロディー"は、そういった世代の歌でした。たいてい、ちょっと悲しくつらい人生の歌。若いわれわれには正直、好きになれない…そういった感がありました。その中で、たとえば、先日亡くなられた美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」もその一つでしょう。
敗戦後の復興の時代、焼け野原になった都市部では建物が建てられていきます。そのための土木作業となると、まずは地盤作りから。現代のような重機などない時代です。すべて作業は人力で行っていました。日雇いの低賃金で働く土方たちが「ヨイトマケ」の掛け声でいっせいに大きな岩を持ち上げ、地固めをします。ヨイトマケの歌に出てくるお母さんは、日雇いの貧しい土木作業員。毎日、そうやって、泥まみれになりながら子供たちを育てていた。歌詞が長いので勝手に編集させてもらいましたが、以下のような内容です。
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♪ 今も聞える ヨイトマケの唄、今も聞える あの子守唄
工事現場の ひるやすみ
タバコふかして 目を閉じりゃ 聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が 貧しい土方の あの唄が ♪
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父ちゃん一人じゃ稼ぎが足りず
ぼくら家族のため、母ちゃん、飯も食わず、朝から晩まで仕事探し。
なんとか見つけた仕事がヨイトマケの土方。
ヨイトマケの掛け声にあわせ、力の限り土を固める男たちの仕事。
その日から、姉さんかぶりで頭を覆い、泥にまみれ、日に焼けながら、汗を流し、男たちと一緒に「ヨイトマケ」の掛け声で岩をもち上げ杭を打つ。
そんな母ちゃんのことを小学校ではみんなが馬鹿にする。
「おまえのかあちゃん、泥まみれの『ヨイトマケ』」と。
そしてぼくらのことも「ヨイトマケの子」「泥だらけの汚い子供」と馬鹿にして、皆がいじめる。
ぼくは馬鹿にされるのは嫌だ。だけど、大好きな母ちゃんのことを馬鹿するのはもっと、ずっと嫌だった。
ある日、いつものように学校でばかにされ、いじめぬかれ、あまりの悔しさに、学校を途中で飛び出した。
涙にぬれながら家に帰る道すがら、母ちゃんが働いているところを見た。
姉さんかぶりで頭を覆い、泥にまみれて日に焼けながら、汗を流し、男たちにまじって、天に向かって声を上げ、力の限り綱を引いていた。
学校でいじめられ、かあちゃんに慰めてもらおう、抱いてもらおうと、学校を飛び出し、息をはずませやってきた。
だけど、そんな母ちゃんの姿を見たとき、学校を途中で投げ出してきた自分が情けなかった。
一人歩きながら、泣いた涙も忘れ果て、そのまま学校に戻ったっけ。
「母ちゃん、ぼく、一生懸命勉強するよ」とそのとき誓ったんだ。
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♪ あれから何年たった事だろ。高校も出たし、大学も出た
今じゃ機械の 世の中で おまけに僕は エンジニア
苦労苦労で 死んでった 母ちゃん、見てくれ この姿
どんなきれいな 唄よりも どんなきれいな 声よりも
僕をはげまし 慰めた
母ちゃんの唄こそ 世界一、母ちゃんの唄こそ 世界一
今もきこえる ヨイトマケの唄、今もきこえる あの子守唄 ♪
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戦後、経済は急回復し、一時Japan as No.1などと言われるまでにもなった日本です。
日本中、どこも貧乏で、悲しいことが多めだった時代。だけどみんな前向きで、一生懸命頑張っていた昭和。
そこには人々のやさしさや、ぬくもりもあった。
そして、いつしか豊かになった日本。
その原点が昭和のこの頃にあった。それは間違いなさそうです。

