石井院長コラム|おががつくった南札幌脳神経外科~南札幌クリニック~

 

石井院長コラム

おががつくった南札幌脳神経外科
~南札幌クリニック~

The Hospital That "Oga" Built


石井院長

小笠原先生の記憶

南札幌クリニック

私がこの病院に赴任したのは2025年4月。今から1年と少し前。
これまで内科医として働いていた田舎の公立病院からの赴任だった。久しぶりの札幌だ。
この病院は南区の川沿地区にあり、緑豊かなところ。
"川沿"という地名のごとく、病院の前には道路を隔てて小川が流れ、その向こうには木々に覆われた小高い丘、さらにその奥に藻岩山がある。

この病院に赴任して病棟業務にも慣れてきたころ、ひとつ気になることがあった。
病棟のパソコンのスクリーンの背景画面にメッセージが流れる
「おががつくった南札幌脳神経外科」
どういう意味だろう?と思いながらも、特に誰に聞くこともなく月日が流れた。

1999年11月7日、この病院は脳神経外科医の小笠原先生が創立した。創立時、小笠原先生は50歳。スタッフは看護師、理学療法士(リハビリ)、放射線技師、臨床検査師、事務職員など、20代から30代の若者が集った。創立の11月7日は冬の気配の感じさせる寒い日。しかし、その日の寒さとはうらはらに、どの顔も明るく、希望に満ちていた。そんなスタッフに囲まれ、院長の小笠原先生も沸き立つ心を抑えながらも希望にあふれるスタートを切った。

病院は順調に軌道に乗った。その後20数年間、いろいろなことがありつつも順調であった。

2020年、秋のある日、小笠原先生は朝の病棟回診を行うのに病棟に向かった。
その時、ある看護師が気になって言った。

「先生、顔が黄色くないですか?」

本人は特に気にしていなかったが、確かに、鏡に映る自分の顔が黄色い。そういえば、ここ数日、なんとなくお腹の調子もよくない。その他、特に症状はないが、気になり、数日後、近くの消化器内科を受診した。採血、腹部CT、エコー検査を受けることになった。

「すい臓がんが疑われます。周囲のリンパ節の他、肝臓にも転移がみられます」

手術の適応はなかった。間もなく、化学療法が開始する。抗がん剤の点滴治療だ。2週間連続で毎日抗がん剤の点滴を受ける。その間、病院を休診にするわけにはいかないので、自院の外来で点滴をしながら患者を診察する。この2週間連続の点滴治療のあと、2週間の休憩をはさんで、再度2週間の抗がん剤治療再開だ。抗がん剤治療の副作用は強い。吐き気、下痢、手足のしびれ、特に疲労感が耐えられない。頑健な身体を持つ人でも、かなりこたえる治療だ。この2週間連続の治療+休憩の2週間を1クールとして、4クールめ。あまりにも苦痛が強く、もはやそれ以上の継続は困難と、治療を断念することに決めた。

治療を断念することは死を意味する。その時、担当医師から余命3-6か月の宣告を受けた。その後は麻薬を使い、痛みを抑えながら病院に出勤する。しだいに痛み・倦怠感の他、呼吸も苦しくなってくる。そのころは、あいにく、国内でコロナ感染症が流行していた。そのため、病院内はもちろんのこと、外でも、マスク着用が常識となっていた。毎日診察に出る院長にとって、マスクをすることで余計呼吸が苦しくなる。患者の前では平静を装いつつも、苦しくて苦しくて、つい、マスクを下げ、いわゆる"あごマスク"で診察することもあった。ある日、病院へ投書があった。

「院長先生、あごマスクはやめてくれますか?世の中でコロナがはやってるのというに、あなたは医者ですよね!非常識じゃないですか?」

この投書をみた事務員たちは、みな、一様に沈んだ。「書かれちゃったね…」。もちろん、院長にはわたさず、書類箱の奥にしまわれた。その後も院長は苦しみながらも、決して弱音を吐くことなく、毎日外来での診療を続けた。

2021年7月23日。空は晴れ渡り、明るく暑い夏の日だった。海の日3連休最後の日、翌日も出勤するつもりでいた院長だが、その日、ついに命が尽きた。文字通り、命が尽きてしまった。享年72歳。それは本人にしかわからない、つらく苦しい日々だった。それに耐えながらも、最後の最後まで現役医師を貫いた。

今でも病院の患者待合室中央に小笠原先生の写真が飾られている。腕を組み、白衣姿でわずかに笑みを浮かべる中年医師。見た印象はどこにでもいるような普通の中年男。しかし、どことなく人をひきつける安心感というか頼れるような優しさを感じさせる。決してハンサムではない。しかし、多くの人に好かれた。この写真も特に誰に命じられたわけでなく従業員たちの誰かが自らの意志で飾ったものだ。私は一度も本人と会ったことがない。しかし、この病院で働く従業員の多くが今でも創業時のメンバーなのも、彼が多くの従業員に好かれていた証拠だろう。

ある日、ずっと気になっていたことを病棟で聞いた。

「パソコン画面に"おががつくった南札幌脳神経外科"って流れているけど、これって何?」

「"おが"って、小笠原先生の愛称。つまり、小笠原先生が作った南札幌脳神経外科ってこと」

もう亡くなって5年が経つ。なのに、いまだにこの病院の誰もが慕ってやまない人。その院長を引き継いだ私としては正直、うらやましくもある。

このたび、当院は"南札幌クリニック"と名称変更して再出発することになった。
先日、地域住民に対し説明会を兼ねて医療セミナーを行った。狭い会場ながら、多くの参加者が集まってくれた。うれしかった。

新病院名"南札幌クリニック"。しかし、待合室の小笠原先生の写真はそのまま変わらない。
この病院を作った"おが"。その写真は今でも皆に、そして私にも語りかけてくるようだ。「がんばれよ」と。

石井院長
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