石井院長コラム|沖縄での結婚式

 

石井院長コラム

沖縄での結婚式

A Wedding in Okinawa — Under a Cloudless July Sky


石井院長

姪の結婚式・沖縄

家族のきずな

先日、姪(弟の三女)の結婚式で沖縄に行ってきた。7月の3連休を利用し、3泊4日の旅行を兼ねての結婚式参列。

結婚式はビーチ沿いの白いチャペルで行われた。真っ青な空とエメラルドグリーンの海に白い砂浜。そこに建つゴチック風の複数の尖塔を持ち、白の外壁で統一されたチャペル。さながらエーゲ海に浮かぶサントリーニ島の風景を思い起こさせる。決して荘厳さはないが人目を惹く。内部もまた、白で統一され、天井は尖塔アーチに交差ヴォールト。中世ヨーロッパ建築を模した現代風デザイン。そして、チャペルの祭壇の奥、つまり参列者正面には、本来あるはずのステンドグラスを意識した全面ガラス。そのため、南国ビーチの風景が圧倒的なまでに参列者たちの目に飛びこんでくる。式当日は雲一つない快晴。そのため、もはや完璧といえるまでの美しさだった。これを体験した若い女性であれば、間違いなくここでの挙式をあこがれるであろう。私でさえ、もう数十年若かったなら…と悔やまれたほどだ。

新郎、新婦の両家とも、ほぼ全員、東京周辺からの出席。沖縄関係者はいない。沖縄での結婚式という選択は「親族のみの少人数で」ということで実現した。新郎側の家族内での都合もあり、ごく限られた家族内のみになったようだ。新郎側との出席者のバランスを考えると、新婦側も参列者はおのずと少人数とならざるを得ない。結局、新婦の両親と兄弟、およびその家族の総勢20名程度と、きわめて小規模の結婚式となった。なお、私は新婦の叔父という立場。本来、出席該当者ではないが、子供のころから親しくしていたということで、母親(新婦のおばあちゃん)とともに札幌からの特別参加となった。

新婦は3人姉妹の末娘。上の子2人が帝王切開で生まれており、3人目については、もはや出産のリスクが大きすぎた。医者をはじめ、誰もが出産には反対だった。だから本当はこの世に生まれて来なかったはずの子だ。しかし、親はリスクを覚悟で産むことを選んだ。そのせいかどうかはわからない。優しく、家族思いの良い子に育った。

長女、次女とも、人もうらやむいわゆる玉の輿。それぞれ子を産み、家族ができた。しかし、三女はなかなか良い相手がみつからない。「性格の優しさが裏目に出ているのではないか」など、おばあちゃんはやきもきしていた。外で若い男を見つけると、勝手に"結婚相手の候補者"としてリストアップしていたほどだ(リストアップされた当人は知る由もないが)。おばあちゃんは間もなく90歳になるが「いざとなったら私があの男に掛け合ってくる」と勇ましい。その子が30歳を過ぎたころ「彼氏ができた!」と報告してくれたのだった。

結婚式の前日、新婦側親族のみでの夕食会となった。新婦にとっては独身最後の夕食会。楽しい時間が過ぎた。デザートの時間となり、皆にケーキが配られた。両親には、それとは別に、特別メッセージ付きのショートケーキが送られた。そこに立てられた小さなローソクに火が灯され、さながら、子供のころのお誕生日会を思い起こさせる。両親は感謝した。母親は、そのショートケーキ食べることなくナイフを入れ、9等分に分けた。そこにいた参加者の人数分に。まるでキリストが磔(はりつけ)となる前日、12使徒に一つのパンを切り分けた"最後の晩餐"の様だなと思った。もちろん、場にふさわしくないので、それは言わなかったが…。それにしてもショートケーキを9等分となると、切り分けられた1片は一口分にもならない。しかし、この子は子供のころから母親にこうやって育てられたんだな、とその時思った。

式当日は快晴の中、チャペルで結婚式。参列者は皆仏教徒。神父は背の高い白人。本物かどうかは疑わしいが、姿かたちはそれらしく見える。もっとも、本物かどうかなど、参列者にとってはどうでもよいことだ。少なくとも皆が幸せに感じられる式となった。

式は滞りなく終わり、チャペルの隣で披露宴が行われた。やはり前方の壁一面にビーチが望める白に統一された会場で皆楽しく過ごした。終盤、よくある新婦・新郎から父母へ感謝の言葉で締めくくりとなった。そして、最後に新婦が新郎にひとこと、新郎の眼をまっすぐ見つめ言った。

「私をお嫁さんにしてくれてありがとう」と。

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